コンサルが生まれたストーリー


私のビジネスに対する私の姿勢を作ったビジネス人生のお話を

したいと思います。

私事で恐縮なのですがこういった仕事の話をする上で

話す人の精神的背景が必要と思ったので書くことにしました。

 

最初に・・・私のビジネスに対する概念を作ったのは最初に就職した

会社によってです。

ほとんどのイメージがそこで作られました。

 

大した志も無いまま大学を卒業後それこそ、何もしたいことが

無かったのです。

取り敢えず、実家の近所の呉服屋さんに実家の商売の修行のつもりで

就職してまったのです。が、そこはとんでもない会社でした。

今思えば、悪い意味での「とんでもない!」では無くて

この会社が後日、業界日本一にまで成長するのですから

すごくラッキーだったの「とんでもない!」でした。

 

入社早々、 大阪の京橋のお店で毎日同期の人間10名ほどが

「昨日売れた人は朝礼に参加」売れなかった人は、

床のPタイルのたわし磨きでした。

 

私は1週間ほど何も売れなかったで、朝9時半に始まる朝礼は

最後まで参加できず床磨き。

涙をポタポタ床に落としながら床磨きをしました。

そして10日後やっと売れて、私の販売員生活が始まります。

そしてそれから色々ありましたが13か月後に店長に抜擢されました。

 

それは同期で2番目の抜擢でした。しかし、間違わないでください。

私が優秀だから、たった1年の販売員生活から店長に昇進したのではありません。

当時出店攻勢を仕掛けていた会社の店長不足事情から抜擢されただけです。

決して社員として優秀だったからではありません。

 

こんな何の特徴も無い若造だった奴がある日、元同業他社から転職した

同い年の高卒上司と出会います。私は営業成績最悪で降格した店長。

その方は、有る理由で部長から降格された店長です。

降格同士の、店長と店次長二人で、当時最悪の倉敷店の立て直しで

転勤になります。ここから私は変わって行きます。

 

どう変わるのかは、後日詳しく話しますが

「仕事がおも白い!」と、思うようになります。

「店でワイワイ販売やってるのが楽しい!」

「家に帰るより、店メンバーと騒いでいる方がイイ!」

などとなってしまいます。

仕事が面白すぎて結婚当時でしたが

家族を省みなくなってしまいます。

3人の子供は家内に任せっぱなし。

 

しかし、給料だけは店長に返り咲き、

営業成績が良かったのでうなぎのぼりです。

だから離婚こそしなったのですが・・・

そして、京都本部勤務となります。

 

 

だから、その同年齢の上司が、私の人生の1番目の恩人です。

その後、本部に入ってから人生の2番目の恩人になる

上司に出会います。

 

ここまでの人生で学んだことは

「本気でやれば仕事は楽しい」

「人生最大の賭けは一生を貫くビジネスである」

「人生はコツコツ勝つコツ」

など、多くの先輩諸兄に教えられました。

そして、それが今の私を形作っています。

 

入社当時、自分では「販売は向いていない!」

と思っていた私が、社内でもトップクラスの売上げをあげ

店長に返り咲くことができた理由は・・・

「仕事が楽しい!」でした。

 

今の環境の皆さんには分からないかもしれませんが、

本気でやれば、何でも楽しくなるものと、当時は思っていました。

今では、こんな仕事の仕方はブラック企業でしか見られないようです。

 

しかし私は、このように企業作りを仲間と本気で

やって来ので今があります。

特筆しておくべきことがもう一つ有ります。

恩人のことです。

メンターとか、指導者と言う意味でしょうか。

サラリーマンのビジネス環境下では直接の上司に恵まれたのです。

なかなか望んで良い上司は選べません。

 

 

しかし・・・中間管理職となると上司と部下がいる

上に配慮するか?下に配慮するか?迷ったら上に貢献する。

単純に、良き上司がどこかで引き上げてくれます。

精神的に、社内的に、職位的に!

あなたも上司との関係には配慮して良い仕事をしてください・・・

 

と言うより良い上司というのは普通なら

良い仕事の場を与えてくれます。

上司とのコミュニケーションを大切に!

と言うことで・・・

今回は、この辺で次回は、続きをやるつもりです。

 

私の今を形作った、ほとんどの原因の

ビジネス経験のストーリーをご期待ください。


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